2012年7月11日水曜日

家に無事着きました

昼過ぎに自宅に着きました。
北海道に帰りまず感じたのは、道路が走りやすい。慣れた道なのか、やはり広い道なのか、車を運転していてそう思った。あ~帰ったなと思ったのは、札幌の街に着いたのではなく藻岩山や円山、三角山が見えるとホッとした気分になった。
家に着き、べんけい号の中を少し片付けのんびりしていた。何か今までの旅が、夢だったのかと思うような感じがした。
今まで仕事中心に生きてきたがこの2か月はそんな物とは全く縁のない生き方を体験した。そして様々な人と出会った。
だからそんな人たちとの繋がりをずっと大事にしていきたい。

これでこのブログは暫くお休みにします。
ここを見て頂き、色々なコメントを頂きました。本当にありがとうございました。それ故に、さびしくもなく無事この旅を終える事が出来ました。
皆様方も楽しい旅等がこれからも続きますよう祈念します。
ありがとうございました。

フェリーの中、少しの時間ロビーでマリンバの演奏会。

左前方に船、Kのマーク。シルバーフェリーだと思う。

苫小牧が見えてきました。

札幌市内、正面に藻岩山。もう少しで家に着きます。

皆様もお元気で、ありがとうございました。

2012年7月10日火曜日

苫小牧に向け出港です

いよいよこれで今度の旅もお終い、内地ともお別れです。またいつになるか、来ます。
青葉城跡に行って来ました。
早めにフェリー乗り場に来ています。あと少しで乗船、出港になります。苫小牧には明日昼近くに着く予定です。何もすることが無いから、風呂に入って寝ています。
間もなく乗船になるのでまた明日、今度は家に着いてからになります。

伊達正宗像、成果はこれだけ。駐車料400円/h。

仙台市内、右の方が仙台駅。

仙台フェリーターミナル。

これは〝きたかみ〟この船ではない、〝きそ〟に乗って
行く、これよりちょっと大きい。16000t、199.9m。
と思ったが船が変更になっていた。これに乗ります。

2012年7月9日月曜日

奥松島、大高森に行ってきた

何処も行かないつもりだったが、空の旅人さんが教えてくれた、大高森に行ってきた。
標高105.2m、山頂まで1.2kmとあったが短く感じた。
午後から松島に戻り、少し町内を歩いて見た。
今日の停泊地を何処にするか迷ったが、昨日と同じ〝道の駅「おおさと」〟にした。
明日は青葉城跡によってフェリーターミナルに早めに行くことにするつもりです。
これで今回の旅は終りになります。

19:52、町営駐車場にまだいます、出入り自由です。このままここに停泊します。

大高森、登山入口。

こんな感じの所を歩く。

まあ、歩き安い。

分岐点があった、右に縄文村?。

階段が整備されている。

少し勾配がある。

最後の坂。

頂上に着いた、1.2kmと書いてあったが、近くに感じた。

三角点。

松島が一望出来る、遠くの正面が松島の町。

帰りに縄文村の方へ行って見る。

こんな所を下る。

洞窟があった。

薬師堂、聖徳太子が云々と書いてあった。

またこんな所を下る。

また何かの分岐点。

山の反対側に来たようだ。縄文村は下にあった。

だけど資料館とこれだけ。中は水没していて入れない。

松島にに戻り町ちを一回り、五大堂。

福浦島。

瑞巌寺の裏に誰も来ない蓮池があった。

瑞巌寺入口。

円通院、ここも前に来たとき面白かった。

2012年7月8日日曜日

移動だけ、何も書く事がありません。

今日は〝道の駅「上品の郷」〟から〝道の駅「おおさと」〟宮城県黒川郡大郷町まで移動しただけ。松島まで一旦行ったが、市営駐車場(無料)が夜間使用禁止になっていた為また移動しここに来た。ここで停泊します。
ブログも書く事が無くなりました。もうどこも見ないつもりです、明日はまた松島にいって休養する予定。公園か、駐車場でゆっくりします。

2012年7月7日土曜日

陸前高田市、気仙沼市、南三陸町

朝から雨だったので、江刺には寄らずに来た。
陸前高田市、山を越え市内平坦部にでたら風景が一変した。あるのは道路と瓦礫の山だった。
気仙沼市、ここも同じ様だが少し安心したところがあった。それは港に漁船がいっぱいあった事。そして、町の半分はそんなに被害が小さかった事。
南三陸町、ここはほぼ町は無くなっている。あの防災対策庁舎に行ってきた。
なかなか目に見える復興が始まっていない。三陸海岸沿いに観光バスが走っていない。他県ナンバーの車が少ない。
観光地や海辺の公園に一人でも多くなればと寄ろうとしたが、ほとんどがまだ人が入れ無い状態だ。だからバスも車も来ない。
家が建ち、人が来なければ町にならない。早くそうなればと思う。
そして犠牲者のご冥福を祈ります。また復興が速やかに進むよう願います。被災者の方たちにお見舞い申し上げます。
今日は〝道の駅「上品の郷」〟ここに停泊しています。明日は松島でも行って見ようと思います。

陸前高田市、道の駅「高田松原」被災したままだ。

 
町の瓦礫は片付けられ、見えるのは道路とその瓦礫の山。

気仙沼市、ここも同じ様に道路と瓦礫の山、救いは町の半分は
被害が比較的小さかった事。

そして漁船が一杯あって少しは活気がある様子。

〝道の駅「大谷海岸」〟こんな風に営業していた。

南三陸町、海の方を見るが何も無い。

山の方も何もない。中央より少し左に、防災対策庁舎が見える。

防災対策庁舎、未来さんは2階の放送室から最後まで避難を呼びかけていた。

 
未来さんは最後に三浦さんに指示され同僚と屋上に
避難した。三浦さんは他の人に避難するよう言われ
あと一回と言い残った。そして津波の第一波が来た。

未来さんは他の人と手をつないで屋上にしゃがんでいた、
と言われている。屋上には30人程が避難していた。一波
目で波に飲み込まれた。そして10人があの屋上の階段
の踊り場や手すりに引っかかり助かった。その中に未来さ
んはいなかった。三浦さんも席を離れてはいたようだ。が
三浦さんは今も見つかっていない。
(三浦さんは未来さんの上司、防災放送の責任者)

防災放送は未来さんと三浦さんと交代、或いは分担してやっていたようだ。いずれにしても最後まで何かをしなければと云う思いだったのに違いない。そしてそれが何人もの人を救ったのも間違いない。




2012年7月6日金曜日

世界遺産になった平泉を歩いて見た

2008年にララとみんなで来る予定だった。ララの突然の病気そして1年後に・・・。
一日中歩いたのは京都以来。
平泉は、義経の〝北行伝説〟の始まりの地。だから余計興味があった。だからどんな所なのか、じっくり見たかった。
義経堂はひっそりとしていて、ほとんど人はいなかった。ちょっと寂しい気がしたが仕方ない。

今日は〝道の駅「みずさわ」〟岩手県奥州市水沢区にある。とても小さい道の駅、今までで一番。ここ二停泊します。明日は陸前高田市、南三陸町、太平洋側を南下して行く予定です。その前に江刺区によるかも。


役場の駐車場、ここにべんけい号を置いて歩いてきた。勿論無料です。

毛越寺入口。

入口より入り進んでいくとまず、芭蕉の句碑。

正面に本殿がある。

本殿右に大泉ヶ池、池の中に見えるのが、出島と池中立石。
その向こうが、洲浜。

築山。

開山堂。

あやめが綺麗に咲いていた。

嘉祥寺跡。

遣水、平安時代造られた唯一の遺跡。

現在の常行堂、1732年に再建された。

向こう正面は、常行堂・法華堂跡、1597年に焼失されている。

観自在王院跡。

舞鶴が池。

金鶏山入口、鳥居のすぐ右に、義経妻子の墓がある。

義経妻子の墓、元はここから300m程離れた所にあった。

金鶏山への登り道。

二百数十メートル程登ると頂上、ここは経塚。
清衡がここに金で造られた雄雌の鶏を埋めたとの
言い伝えもあった。

この用水、只者ではない。850年前に整備されていたもの。

国道を歩いて行くと、左に弁慶の墓があった。

右の小さな石塔がお墓、左の女性はここでバスを待っていた人。
ついでに横に立ってもらった。

中尊寺の入口。

ここではこれを借りた、音声ガイド装置。これでその前に
行って、そこの番号を押すと、案内が聞こえる。

月見坂。

道の脇には、色々な建物がある、これは弁慶堂。

地蔵堂。

薬師堂。

そして本堂門。

本堂。

旧鐘楼、今は使われていない。特別な時にだけ使う。
去年はこれを使って、除夜の鐘にした。

讃衡蔵(宝物館)。

覆堂、中に金色堂。

芭蕉の句碑。

旧覆堂、芭蕉はこの中にあった金色堂を見た。

白山神社鳥居、この奥に能舞台がある。

能舞台、今でも能が舞られる。

白山神社、茅の輪があった。

帰りの月見坂。

北上川近くの高館義経堂に来た、芭蕉の句碑。
『夏草や兵共が夢の跡』

義経堂。

義経象が置かれている。

自刃したとされる前年にあの束稲山を越え北をめざした。
と義経北行伝説が始まる。

柳之御所遺跡に来た、今でも発掘調査は行われている。

柳之御所遺跡、ここは藤原氏の時代に政治を行っていた場所。
平泉舘と考えられている。

あの山の上に、高舘義経堂はある。