陸前高田市、山を越え市内平坦部にでたら風景が一変した。あるのは道路と瓦礫の山だった。
気仙沼市、ここも同じ様だが少し安心したところがあった。それは港に漁船がいっぱいあった事。そして、町の半分はそんなに被害が小さかった事。
南三陸町、ここはほぼ町は無くなっている。あの防災対策庁舎に行ってきた。
なかなか目に見える復興が始まっていない。三陸海岸沿いに観光バスが走っていない。他県ナンバーの車が少ない。
観光地や海辺の公園に一人でも多くなればと寄ろうとしたが、ほとんどがまだ人が入れ無い状態だ。だからバスも車も来ない。
家が建ち、人が来なければ町にならない。早くそうなればと思う。
そして犠牲者のご冥福を祈ります。また復興が速やかに進むよう願います。被災者の方たちにお見舞い申し上げます。
今日は〝道の駅「上品の郷」〟ここに停泊しています。明日は松島でも行って見ようと思います。
陸前高田市、道の駅「高田松原」被災したままだ。 |
町の瓦礫は片付けられ、見えるのは道路とその瓦礫の山。 |
気仙沼市、ここも同じ様に道路と瓦礫の山、救いは町の半分は 被害が比較的小さかった事。 |
そして漁船が一杯あって少しは活気がある様子。 |
〝道の駅「大谷海岸」〟こんな風に営業していた。 |
南三陸町、海の方を見るが何も無い。 |
山の方も何もない。中央より少し左に、防災対策庁舎が見える。 |
防災対策庁舎、未来さんは2階の放送室から最後まで避難を呼びかけていた。 |
未来さんは最後に三浦さんに指示され同僚と屋上に 避難した。三浦さんは他の人に避難するよう言われ あと一回と言い残った。そして津波の第一波が来た。 |
未来さんは他の人と手をつないで屋上にしゃがんでいた、 と言われている。屋上には30人程が避難していた。一波 目で波に飲み込まれた。そして10人があの屋上の階段 の踊り場や手すりに引っかかり助かった。その中に未来さ んはいなかった。三浦さんも席を離れてはいたようだ。が 三浦さんは今も見つかっていない。 (三浦さんは未来さんの上司、防災放送の責任者) |
防災放送は未来さんと三浦さんと交代、或いは分担してやっていたようだ。いずれにしても最後まで何かをしなければと云う思いだったのに違いない。そしてそれが何人もの人を救ったのも間違いない。
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